KIEFER ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
穏やかな陽射しが降り注ぐ中、ヴィクトールはふと窓の外に目をやった。
いつもの風景。優しく風が吹いて木々の葉が揺れる。
さわさわと葉が鳴って鳥のさえずりが輪唱するように聞こえてきた。
意識を向けるとそこかしこに女王陛下のサクリアを感じる事ができる。
不思議なものだ…、と溜息をついて視線を木々からその奥の空へと向けた。
数日前までは何も感じなかった。当たり前だ。普通の一般人に過ぎなかったのだから。
しかし今はどうだ?。新たな宇宙の守護聖となってこの聖地に居る。
まるで全てを包み込むように優しく、そして何者からも侵害されない強い女王のサクリアが
陽射しが降り注ぐようにこの聖地と、そして聖獣の宇宙を守っているのを感じる事ができる。
「ヴィクトール様?」
名を呼ばれて視線をそちらに向けた。机を挟んで向こうに立っている青年。
彼はヴィクトールの秘書だ。
手に数枚の書類を持ってヴィクトールの様子を伺っている。
「あぁ、すまん。続けてくれ」
そういうと彼はすらすらと書類を読み上げ始めた。
それを聞きながら手元の書類に目を通した後サインをして書類を捲る。
こういったデスクワークが今の所の彼の主な仕事だ。
肩がこる事この上ないが、それも平和な印だと思えば苦でもなかった。
処理し終わった書類を手にとって秘書は部屋を後にした。静かに扉が閉まる。
ヴィクトールはペンを置いて背伸びをした。ふと時計に目をやる。執務を始めてから2時間は経っていた。
彼は席を立って少し体を動かそうと執務室を抜け出した。
*
*
*
「きゃー!」
「まてまてー」
子供達の声が賑やかに公園に響き渡る。端のベンチでは老夫婦が散歩の合間の小休憩をしていて、子供達が元気に走り回っているのを目を細めて眺めていた。子供達がしていたのは「缶蹴り」という、とある惑星のオーソドックスなゲームだ。子供たちは缶を蹴り倒すのに一生懸命だが、その缶に足を乗せて立っている鬼役の人物に老夫婦はふと視線を止めた。
セミロングの金髪を微風になびかせて捕まえた子供達を背に辺りに注意を配っている……女性。
オフホワイトのサブリナパンツに若草色のブラウス。オレンジのラインが入った白いスニーカーを履いて子供達に負けずに声をあげながら一緒に遊んでいる。それが本当に楽しそうに笑っているので、逆に微笑ましいくらいだった。
「捕まえた!!」
「あ〜ぁ。もうちょっとだったのにー」
「これで全員?」
「まだだよアンジェ。レオンが残ってる」
「あの子か…」
アンジェリークは辺りをぐるりと見渡した。それらしい陰は見当たらない。
キーポイントとなる缶にも気を配りながら最後の一人を探しにその場を離れた。
風が木々を揺する音、小鳥の羽ばたき、物音はそこかしこにある。その度にそちらを注意深く眺めていた。
捕まってしまった子供達も息を飲んで辺りを見ている。
一瞬、彼女は木々の緑の中に黄色い陰を見つけた。それは最後の一人の子供の髪の色と同じだった。
確信が持てなかった彼女は、そちらに背を向けてわざと隙を作った。
しばらくそのままで居ると、ガサガサッと草を掻き分ける音がして一人の少年が物凄いスピードで缶めがけてまっしぐらに走ってくる。
「レオン!!」
少年の名を呼んでアンジェリークも走り出した。彼が缶を蹴り飛ばせば子供達の勝ち、少年よりも早く缶を踏み少年の名を叫べばアンジェリークの勝ちだった。大人げも無く全力疾走するアンジェリーク。少年を応援する子供達の声。静かだった公園はいきなり騒がしくなった。その声に惹かれるように公園に現れた人物。楽しそうなその子供達に近づいてゆく。
「何しとん?えらい楽しそうやなぁ…」
「あーーっ!ダメッ!!」
「へ?」
アンジェリークとレオンが後少し、という所で肝心の缶はコロン…と草の上を転がっていく。
「なんや?コレ」
「あ〜っもう!!後少しで私の勝ちだったのに!」
「違うよ。僕の方が早かったよ。僕らの勝ちだね」
「そんなの分からないじゃない。私の方が早かったかもよ?」
「僕が!」
「私が!」
アンジェリークとレオンと子供達が言い合う声がいっそう騒がしく公園に響き渡る。
訳の分からないのは缶を蹴倒してしまった人物一人。
「そもそもチャーリー様が悪いんだよ!」
「はぁ?」
「そうよ。後少しのところであなたが缶を倒すから」
「まぁまぁ。少し落ち着いて最初っから話してみようやないか」
「…いいわ」
ふぅ、とアンジェリークが気分を落ち着けるように深く溜息をついてチャーリーを見据えた。
深く深呼吸をして、ニヤリと笑みを見せると回りの子供達に向かって大きな声で叫んだ。
「皆!!次の鬼はチャーリーよ!」
「はぁ??」
アンジェリークの声を聞いて子供たちは一斉に歓声を上げる。
その声にたじろぐようにチャーリーは思わず後ずさりする。
「オニってなんやねん?」
「チャーリー、缶蹴りは知ってる?」
「はぁ、またエライ古い遊びやなぁ。缶けりしとったんかいな」
「そ。あなたが最後の最後に水をさしたのよ。だからその責任をとって次の鬼は、あ・な・た」
アンジェリークは転がっている缶を拾い上げてチャーリーに見せた。
やっとあらすじを飲み込めたチャーリーが止めるまもなく彼女は勢い良く缶を蹴り飛ばすと、
缶は陽射しを跳ね返して光りながら遠く木を越えて消えてゆく。
それを合図に子供たちは蜘蛛の子が散るように四方八方に駆け出して消えて行った。
呆然と立っているチャーリーの背中をアンジェリークが押し出す。
「ホラ。取りに行くのよ!」
「なんで俺が!?」
「決まった事に茶々を入れないの!ほら守護聖様」
「く〜っ。こんな時ばっかりソレや…」
「早く早く!」
赤いマントを翻してチャーリーは走り出した。
それを見届けてアンジェリークは公園の木々の中に走り去ってゆく。
そして公園にはまた静寂が戻った。
必死になって缶を見つけたチャーリーが元の位置に戻り缶を立てる。
辺りを見渡すとベンチに座っていた老夫婦しか見当たらない。
チャーリーは腕まくりをするような仕草をして気合いを入れると「ヨッシャ」と一言叫んで草むらの中に走っていった。
「どこや〜?隠れてたってムダやで」
物音を隠そうともせず、がさがさと草をかき鳴らしてチャーリーはずんずん進んでゆく。
その音で子供たちはオニの居場所を知るのだが、あまりの勢いに気配を隠しながらチャーリーから逃げるのは無理だった。
かさかさと音を立てながら移動するものだから、その音を聞きつけたチャーリーはそちらに進行方向を変えて木をすり抜けて走る、走る…。
「め〜っけ!」
「ゲ、早っ!」
二人の子供を見つけたチャーリーは、ハードル選手のように子供達と草むらを飛び越えて缶にまっしぐら。
あっけにとられた子供達が後を追うが、既に彼は缶に足を立ててにんまり笑っている。
「スコットにハンク、捕まえたで〜!」
「あ〜ぁ…」
勝利宣言のようにチャーリーは二人の少年の名前を高らかに叫んだ。
それを聞いて隠れている他の子供たちは身を潜める。敵は中々の兵らしい。
アンジェリークも物陰からチャーリーの声を聞く。
「早いわね。なかなか攻撃的なのね」
「どうするの?」
「まぁ、なんとでもなるわ」
彼女の後ろに居たレオンがひそひそと彼女に問い掛けると、事も無げに彼女はそう言い放ち身を屈めてどんどん進んでいった。
〜15分後〜
「ヨッシャ!!ジーンにキティ。捕獲!!」
「あ〜ん。後ちょっとだったのにぃ〜〜」
「フッフッフ。ひーふーみー。コレで全員かいな?」
「まだだよー。アンジェとレオンとクリスも居ないよー」
「しもた!あの連中がまだだったかー。またクセもんばっか残りよったな…。しかーし!負けへんでぇ!!」
チャーリーは辺りを慎重に見渡す。
残る3人を捕らえる為に移動したいが、うかつに動けば缶を蹴られて負けてしまうので
缶から一定の距離を保ったまま缶を中心に円を描くようにゆっくりと歩いている。
それを草陰からじっと見つめる瞳が6つ。
「…どうやらあれ以上缶から離れるつもりは無いみたいね」
「どうするの?あの距離は流石に捕まっちゃうよ」
「う〜ん」
アンジェリークは唸りながら作戦を立てる。それをじっと待つ二人。
レオンはアンジェリークの言葉を待ち、クリスはチャーリーの様子を伺う。
鬼はまだこちらには気付いていない様子。檻の中の熊のように同じ所をぐるぐると歩き回っている。
「よし。二人とも耳を貸して」
とある作戦を思いついたアンジェリークは二人を小声で呼び寄せてひそひそと作戦を伝える。
それを聞いた二人はコクンと頷き、クリスはそっとその場を離れていった。
暫くの間、嫌な沈黙が公園に流れる。鳥のさえずりだけが響き渡って、チャーリーは嫌でも神経を張り詰められた。
動物的感が何かが起こるのを察知したか、草むらに視線を向けたまま後ずさりで缶まで一旦戻ろうとした瞬間、
ばさばさばさっ!と沈黙を破る音にチャーリーも捕まった子供達もびっくりして身を振るわせた。
一斉に物音がしたほうを見ると鳥が一羽、飛び立った音だった。
「なんや…。驚かしおって…」
ガサガサッ!
「!?」
チャーリーが一瞬気を抜いた時だった。草むらから勢い良く飛び出したのは…。
「アンジェ!!」
「貰ったわよ、チャーリー!!」
「そうは行くかいな!」
気を抜いた所を見抜かれてチャーリーは反応が少し遅れてしまった。
しかし缶までの距離は断然に自分のほうが近い。
焦る気持ちを押さえつけて缶まで走り、勢いで倒してしまわないように気をつけながら缶を踏むと高らかに彼女の名前を叫んだ。
「アンジェリーク!」
「あ〜ぁ…」
「…と見せかけてぇ…クリス!!捕まえたでぇ!」
「やだぁ。何で分かっちゃったのぉ?」
「フフフフフ。お嬢ちゃん、このチャーリー様をなめたらアカンでぇ!」
アンジェリークが飛び出した真向かいの草むらから、チャーリーの背を突くようにそっと飛び出していたクリスの名前も叫んで
チャーリーは満面の笑みを浮かべる。勝利者の笑みだ。
「後はレオンだけだね」
「そうや。あっと、ひっとり〜。ぜ〜ったいに捕まえたるでぇ!レオン!!」
「呼んだ?」
ガッツポーズを構えた所だった。ひょこっとアンジェリークの後ろから少年は姿を現し、チャーリーの足元に3歩で近づく。
驚いて口を開けたままの彼の足元の缶を、レオンは思い切り蹴り付けた。
缶は高音を上げて5〜6メートル先に転がる。
「へっへっへ〜。まだまだ詰めが甘いね、チャーリー様」
「く〜っ!!やられた。3段落ちかぁ〜。十分予測できた範囲やったのに…」
「さ、もう一度よ」
子供達がぱーっと走り出し、チャーリーも缶を拾いに走り出す……ところで彼は壁にぶつかった。
その壁を見て子供達が声をあげる。
「ヴィクトール様だ!」
「チャーリー…、何をやっているんだこんな所で」
「あいたたた…。なんや、ヴィクトールはんかいな。人の後ろにいきなり立ってるの止めてほしいわ…」
「宮殿を出る時にエルンストが探していたぞ?」
「あ!!やば…。忘れとったわ。今日朝一で書類渡す約束してたんやった…」
「それか。凄い剣幕だったぞ」
「あ〜ぁ。エルンストはんの説教はぐちぐち長いねん…。怒りが冷めた頃にまた…」
「また、何ですか?」
ヴィクトールの影になっていたエルンストがチャーリーの前に立った。
陽射しに光る眼鏡で瞳が見えず怒り具合が読めずにチャーリーはたじろぐ。
「また…何ですか?」
「…あー、いやぁ…また、また、またまたまたまた…」
「今すぐ書類をよこしてください。そうすれば、「ぐちぐち長い説教」は勘弁してあげましょう」
「あー。あ〜、あれね。そうそう。アレアレ…」
チャーリーはエルンストの勢いに負けてどんどん後ずさりしてゆく。
背中まで曲げて上目遣いに怒りのピークにある相手の顔色を伺いながら。
その姿は「守護聖」という立場も「社長」という言葉もおよそ似つかわしくない程、情けないものだった。
ヴィクトールは人事だからか涼しげな顔で、足元にまとわりつく子供達に唇の端を上げて笑顔を向けている。
一度、物陰に隠れた子供達も姿を現して彼らの周りに集まってくる。アンジェリークも木の陰から姿を現した。
「まさかまだ出来てないとは言わないでしょうね」
「いやぁ…実は〜」
「……まさか、まだなんですか!?」
「や。殆ど終わってるで」
「殆ど?では何が終わってないのですか!?」
エルンストの声のトーンが上がる。いっそう涼しげになる表情が逆に怖い。
チャーリーにつられて子供達も後ずさりするほどだ。
「あと、サインだけや。俺がさらさら〜っと名前を書いて完ぺきや」
「そこまで出来ていながら、何故まだ私の手元に書類が無いのですか!!」
「いやー、不思議やねぇ」
「チャーリー!!」
「わかった。俺が悪いんや。わかっとる」
「当たり前です!!」
「…誰か書くもん持ってへん?」
その書類は一応「重要機密」に含まれるものだった。漏れて危ない事柄が書かれている訳ではないが、一応そういうことになっている。
その書類をチャーリーはあろう事か、ポケットから取り出した。
可哀相にくしゃくしゃになって、鼻をかんだ後のティッシュのような姿にヴィクトールは溜息を漏らし、エルンストは眉間に皺を寄せる。
チャーリーはその書類を草の上に広げ、子供から借りたピンク色のペンで自分の名前を記した。
くしゃくしゃの紙の上、不安定な草の上。不幸な条件が重なってそのサインは幼子の悪戯書きにしか見えない。
それを必死に手で伸ばしながらチャーリーはエルンストに恐る恐る差し出す。
「……チャーリー…。あなたって人は」
「あ〜。中身は完ぺきや。これ以上ないくらいにな」
「書き直してください!今すぐ!!私の執務室で!!!こんな書類は女王陛下に提出できません」
「やっぱし?」
まるで刑事に捕まった犯人のように連行されていくチャーリーに、アンジェリークはくすくすと笑い出してしまう。
それをぎろりとエルンストに睨まれてもアンジェリークの笑いは止まらなかった。
「何がおかしいのですか?アンジェリーク」
「何がって。ねぇ?」
「俺に振るな、アンジェリーク…」
アンジェリークは隣りに居たヴィクトールに目配せをする。怒りの矛先を向けられてヴィクトールは知らん顔を貫いた。
「チャーリー様、どうしちゃったの?」
ヴィクトールの足元でクリスが彼のマントを引っ張りながら訪ねる。
「缶蹴りの続きは?」
反対側で今度はレオンがヴィクトールのマントを引っ張りながら呟いた。
「…遊びはまた今度だ。ほらお前達屋敷に戻りなさい」
「え〜!?」
「え〜じゃない。昼食を取っておいで。アンジェリーク」
「はぁい」
ようやく笑いの治まったアンジェリークは子供達の頭を撫でて背を押した。
去り際にヴィクトールの頬にキスを残して、ようやく「缶蹴り」は終了したのである。
最初から最後まで見届けた老夫婦は、やれやれ、と重い腰をあげて共に公園を後にした。
子供達も散り散りになって3人の守護聖もようやく執務室へと戻っていく。
これは聖獣の聖地の「日常」
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