解放



KIEFER ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■




 「‥‥‥37度9分」


 ”ピピッピピッ”となった体温計を、ヴィクトールの口からとってアンジェリークは
表示された数字を読み上げた。


 「‥まぁ、当然といえば当然ね。色々大変な思いさせたもの。疲れが出たのね」
 「‥いいえ。これは私の自業自得なんです」
 「どうして?。熱なんて出したくて出るものじゃないわよ?」
 (‥昨晩、冷たいシャワーを浴びたまま薄着で外に出たのがいけなかったな‥)


 めくれている布団をかけ直して、アンジェリークはヴィクトールの額に置かれている
あったまってしまったタオルを、氷の浮かぶ大きなボールで冷やし直して
再びヴィクトールの額を冷やした。
 その冷たさにヴィクトールはほぅっと安堵の息がもれる。
重たいまぶたを開けるとアンジェリークがにこっと笑いかけた。


 「今日は外も天気が悪いし、私がじっくり看病してあげる」
 「とんでもありません。アンジェリーク様にうつしてしまいますので
  熱が下がるまで私にはあまり近付かれないほうが‥‥」
 「何言ってるの。ただでさえ男の人って熱に弱いのに独りになんかさせられないわ。
  病人は変な気なんか使わないで、さっさと元気になる!」
 「申し訳ありません‥‥」
 「ほら、もう寝て。‥‥ここに居てあげるから‥」


 ベッドのすぐ横に椅子を持ってきてあるアンジェリークは、その椅子に深く座って
小さな子供を寝かし付けるように、ヴィクトールに言い聞かせた。
 アンジェリークの言葉の響きが子守唄のようで、ヴィクトールは眠りの奥へと沈んでいった。





 外はあいにくの曇り空。少し肌寒い風が吹いていた。今週はこれから天候が崩れるらしく
明日は雨との予報が出ている。海岸に出ている人影は少なく、海に入っている人はいない。
賑やかなビーチは静まりかえっていたが、それもまた眺めるのは楽しかった。
 テーブルの上に開きっぱなしの、読みかけの本が風でぱらぱらとページがめくれる。
ベッドルームのバルコニーに出てアンジェリークは、人気のないビーチを眺めていた。
 一階下のヴィクトールの部屋から眺めるビーチは、いつもの自分の部屋からのそれとは
また微妙に違う顔を見せた。

 ”一段上から下を眺める。自分は決して入り込めない楽しそうな下の人達を”
いつしか癖になってしまっていた。楽しそうな人達の輪の中に入ろうという気にさえならない。
いや、ならないという言葉は相応しくない。その輪の中に自分が入れない事を理解している。
そういったほうが、彼女の気持ちをより表わす事ができるだろう。
だが、輪の中に入っていこうという努力をしないもの彼女の気持ちの中にあった。



 「‥‥‥ん‥‥‥‥」
 「ヴィクトール?」


 ふと、声が聞こえたアンジェリークはバルコニーからベッドルームへと戻り
ヴィクトールの寝顔に目を向ける。枕元に落ちたタオルを冷やし直して額に戻す。
そして溶け切った氷を取り替えに、ボールを持ってキッチンへと歩いていった。

 ヴィクトールには申し訳ないのだが、アンジェリークはこの出来事を楽しんでいた。
彼に必要とされている事が、心の底をくすぐるように彼女の気分を浮き上がらせ
アンジェリークの顔には、不謹慎と思いつつも笑顔が湧いてくる。
具合の悪いヴィクトールが自分を当てにするのは、何の深い意味もないのだが‥‥。


 「アンジェリーク様‥‥」


 不意に後ろから声をかけられて、アンジェリークは吃驚して手にしていた製氷皿を
ひっくり返してしまった。


 「ヴィクトール!!?」
 「‥‥‥‥」


寝間着のままのヴィクトールは床に散らばった氷を拾って流しに捨てた。


 「すいません、驚かしてしまった様で」
 「もう起きて平気なの?」
 「ええ」
 「でも‥‥」


アンジェリークは氷で冷えた自分の手を首に当てて平温にすると、その手でヴィクトールの額に手を当てた。

 「そんなに高い熱でもありませんでしたから。
  こんなにゆっくり寝たのもずいぶん久し振りですし、気分も良くなりました。
  ‥‥…それでですね‥」
 「何?」
 「汗をかいたのでシャワーを浴びたいんですが‥‥」
 「あ!、ごめんなさい。じゃぁ‥‥‥‥」


 アンジェリークは製氷皿をキッチンに置いてヴィクトールの部屋を後にした。
ヴィクトールは深く息を吐いて、部屋の中をゆっくりと見渡した。
 ”この部屋はこんなに広かっただろうか‥‥?”
部屋の広さなど変わるものではない。2ヶ月を越えたホテル住まいに少しは慣れたはずなのに。
ヴィクトールはうらうらと考えながらバスルームへと歩いていった。






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 小1時間ほどたってヴィクトールはシャンプーの薫りをさせながら部屋を出た。
一階上のアンジェリークの部屋に向かう為に、廊下をつき当たった所にある階段に目をやると
ちらちらと壁に見え隠れするように、長い金の髪が見えた。
あんな何もない所で何をしているのかと思いながら、ゆっくりと足を進め
声をかけようかと思う所まで彼女に近付くと、壁の向こうから聞き覚えのない男性の声が聞こえてきた。


 「ねぇ、いいだろう?。少し俺に付き合ってくれても」
 「だから連れがいるって‥‥」
 「部屋を追い出されたんだろ?。ドアの前で座り込んで‥。
  君みたいな女性を部屋から閉め出すような薄情な男は放っておいて俺とデートしない?」
 「ごめんなさい。困ります‥‥」


 その会話はヴィクトールの気分を著しく害した。
その場所からは男の姿は見えなかったが、物の言い方や言葉の発音から軽薄そうな男である事は
十分過ぎるほどだった。
 熱が下がったとはいえまだ頭の中がフル回転していないヴィクトールは
声をかけるよりも先に、アンジェリークの方に腕を伸ばして自分の胸にぐっと引き寄せた。


 「!!!」
 「‥‥‥‥‥‥」
 「‥‥な‥なんだよ!」


 不意に胸に抱き寄せられて、アンジェリークは目をぱちくりさせてヴィクトールの顔を
下から見つめた。その顔は少々きつく尖っていた。


 「‥‥‥‥‥‥」


 ヴィクトールは無言でその無礼な男を上から見下ろして威圧した。
男はすごすごと引き下がる事も出来ずに、アンジェリークに”次の機会にでも”と
おざなりな言葉をかけつつ、階段を急ぎ足で降りていった。


 「‥‥‥‥‥」
 「‥ヴィクトール?」
 「私の部屋の前にいらしたんですか?。
  御自分のお部屋にお戻りになっているものと思ってました」
 「ごめんなさい。なんだか離れがたくって‥‥」


そういってもヴィクトールの顔はアンジェリークの知っている顔には戻らなかった。


 「‥‥そんなに恐い顏しないで‥。どうしてそんなに怒るの?」
 「別に怒ってなどおりません」
 「嘘。ならなんでそんなに機嫌悪いの‥‥」
 「なら、言わせて頂きますが‥‥アンジェリーク様。
  あなたは少し無防備すぎます。今まで街中や海岸を歩いている時にほんの少し
  お一人になる度に、見知らぬ男に声をかけられているではありませんか。
   世の中は貴女様が思っているほどきれいな人間ばかりではありません。
  ここは聖地とは違うのですから、少しは見知らぬ人物に警戒心をお持ちになって下さい。
  でなければ、この世界で生きていく事は出来ませんよ」
 「‥‥‥でも、人を信じる事を忘れたくないの」
 「そのお心がけも素晴らしいですが、それで傷付くのはあなたなんですよ。
  私だってこれからずっとお側につく訳ではないのですから‥‥」
 「‥‥‥ごめんなさい‥‥」
 「‥‥‥その、少し言葉はきつかったかもしれませんが、私はアンジェリーク様が心配なんです。
  聖地とは違って汚れた人間の溢れるこの世界は、貴女様には住みにくい世界です。
  せめて、私がお側でお護りできるうちに‥‥‥」
 「ヴィクトール‥‥」


下を俯いていたアンジェリークは顔を上に上げてヴィクトールの目に視線を向けた。


 「あ‥‥‥申し訳ありません‥。出過ぎた事をいいました」
 「ううん。いいの、私が軽薄すぎたんだから‥
 「いえ、”他人を信じるな”などという事は、お優しい貴女様には無理です。お忘れください」


 ヴィクトールは深く頭を下げてアンジェリークを部屋に送り届ける為に階段を昇り始めた。
しかし、アンジェリークの足はその場所に縫い止められてしまったかのように
動く事が出来なかった。


 「アンジェリーク様?」
 「‥‥‥‥」
 「!!」


 アンジェリークはその想いに反して涙が溢れ出すのを止められなかった。
ヴィクトールはこれ以上ないほど焦って側に駆け寄った。


 「ご‥‥めんなさい‥‥、泣くつもりじゃ‥‥」
 「申し訳ありません!!。失礼な事を言いました!!」
 「違っ‥うの。私をそんな風に叱り飛ばす人なんて聖地に居た間全然いなかったから
  男の人の怒る声がとても恐くて‥‥吃驚しちゃっただけだから‥‥」


そういう間にもアンジェリークの涙は止まらずにこぼれ落ちていく。


 「アンジェリーク様‥‥!!(ああああああ〜〜〜〜!!)」



ヴィクトールは頭の中がもうパニックだった。どうしたら‥‥どうしよう‥‥どうしたら‥‥。

 「!!!」


 ヴィクトールが咄嗟にとった行動は、心の底の本能が顔を出したものだった。
アンジェリークを強く抱きしめ、その流れる金の髪の中に自分の顔を埋めるように
彼女の感触を味わう。


 「‥!!」
 「‥っ‥(ダメだ!もう‥‥‥)」


 ”これ以上は我慢できない。このまま無礼を働いてしまいそうだ!!”
ヴィクトールはぐっと奥歯を噛み締めて、アンジェリークを突き放した。
そのまま彼女の顔を見れずに、振り帰って走り出す。


 「待ってヴィクトール!!」


アンジェリークのとめる言葉も今ばかりは聞けずに、そのまま足を速める。


 「待って!!。私、あなたに走って追い付く事出来ないの知ってるでしょう!?。止まって!!」
 「!!」


 その台詞でヴィクトールは、”護衛”という立場をかろうじて思い出し踏み止まった。
だが背中を向けたままのヴィクトールに、アンジェリークは恐る恐る近付いていく。


 「‥‥もう忘れて欲しいの。何を聞いたのかは知らないけど、聖地の使者から聞いた事は。
  私を、あなたと対等な独りの人間としてみて欲しい‥‥。あの‥‥‥怒らないで聞いてね?。
  私‥‥‥昨日のあの時‥‥‥起きてたの」
 (昨日‥‥?)


思い当たる節を思い出し、ヴィクトールは顔が真っ赤に染まっていくのを感じた。


 「本当にごめんなさい。あなたが私を抱き上げてくれていた時に気がついたんだけど
  目を醒ますタイミングがなかなかつかめなくて‥‥‥」
 「///////////」
 「驚いたけど、嫌じゃなかった。その‥‥あなたが私に”キス”したいって
  いう感情を持っていてくれた事が‥‥。
  私は、まだあなたの事が好きなのかどうかは解らない。聖地を去る時に辛い想いをしたから
  あなたに好かれて嬉しいと思う気持ちが、あなたと同じものなのかどうか‥‥。
  でも、嫌じゃなかったのは確かなの‥‥‥。だから
  それを知る為にも、これからゆっくりあなたの事を知っていきたいと思うの」


 アンジェリークはヴィクトールの背中のシャツを片手で握りしめ、軽く引いた。
ヴィクトールは小さな力に逆らわずにゆっくりと振り返る、彼女の方を向いたが
まだ視線は合わせられない‥‥。


 「ヴィクトール?」
 「‥‥‥あなたはとてもおきれいな方だ」
 「??」
 「白い肌に金の髪はもちろん、柔らかに笑うその笑みも、優しくまわりを気遣うそのお心も
  アンジェリーク様とお近づきになった時間の中で、それは目に見えるような
  美しさでした。‥‥‥‥私は、あなたに相応しいような人間ではありません。
  多くの戦場でたくさんの血を見てきました。敵の物も仲間の物も‥‥。
  私は‥‥‥血で汚れているのです。貴女様のお側に居られるほど‥‥」
 「そんな事気にしないわ。ねぇヴィクトール、あなたが一体どんな過去を持っていようとも
  私は気にしないわ。どんなに過去を懐かしんでも悔やんでも、どうなるものでもないのよ?
  辛い出来事も今のあなたを作り上げた過去の一つじゃないの。
  でも、これからなら‥‥未来ならどうにでもなるのよ。あなたの気持ち次第で。
  過去を悔やんで未来をつまらないものにするかどうかは、今にかかってるのよ」
 「アンジェリーク様‥‥」
 「たくさん後悔したッていいじゃないの。たくさん悩んで出した答えなら。
  それが人間なんだもの。これでいいのかどうか、皆迷いながら生きてるのよ。
  あなただけじゃない、私だって。ヴィクトール‥‥」


 アンジェリークはヴィクトールの両腕を掴んで、ぐっと引き寄せた。
下から彼の顔を覗き込み、視線を合わせようとする。
しかし、ヴィクトールはまだ視線をアンジェリークに合わせようとしない。


 「‥‥‥少し、考えるお時間をください」
 「‥‥‥‥‥‥ヴィクトール」


 アンジェリークは掴んでいた腕を解いた。握りしめられたヴィクトールのシャツは
ちょうど彼女が掴んでいた所がしわになってしまっていたが、二人ともそれにも気がつかなかった。

ヴィクトールは振り返ると自分の部屋の中へと向かって、アンジェリークの視線を感じながら
静かに扉を閉めた。







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